kazumascience idea note

身近な科学の雑記から、日記など

忘れるものかこの一分一秒を

 昨日は修了式でした。

 学群の課程を含めると計6年在学していましたが、時間の消費の仕方を覚えたかわからないばっかりにあっという間でした。出会った全ての人々に感謝を致しております!

(写真は今年度卒業した研究室の似顔絵)

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 なんやかんやで人との「出会い」が自分の中で一番の影響力があったと感じます。

 大学への進学は生まれた周りの環境から当たり前だと思っていたし、実際入学した始めの2年半は淡々と講義のテストや課題をこなすことばっかりで、常に趣味のゲームセンターに行って音楽ゲームをやることばかり考えてました。

(画像は自分がよく遊ぶゲームセンターのゲーム筐体)

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 学部時代は同級生の顔と名前は何となく把握はしていましたが、それにも関わらず自ら交流を図ることもなく、基本的に消極的で、興味持って話しかけてくれる人としか交流は持たない少数先鋭系でした。

 転機としては実験の講義でした。グループワークとしては何も問題はなかったのですが、人の考え方ですよね。結構面白いもんですよ。結果に対してその思考に至る過程とか、文章の表現とか、自分が考えたことないものから何でそうなるんや!(笑)みたいなものまで普段話したことのない人と期間限定の深い絆を経ていくごとに関わりを持つことで人間味の面白さを学べたと思います。

 所属した研究室の先生も講義中に「これは自分が作った!(結構身近で大掛かりの物です)」などおっしゃる先生でその人間味に惹かれ、ついていった所もあります。

 関連で、自分は教職課程も履修していたので、当然教育実習をやりました。大体はイメージ通りだった実習でしたが、唯一違ったところは交流です。それなりに予備知識や余談に近いことを入れて授業していれば勝手に仲良くなると思ってたし、この発想自体、自分自身の経験です。その中でも親しくなれた生徒達とそうでない生徒達と比較すると何が違ったかは明白でした。

 それは自分から個人的に接していないからでした。もちろん、授業が面白いと言って親しくしてくれる生徒も人として面白いと思ってくれて接してくれる生徒もいましたがこの理由が要因として大きいと認識しています。

 

 大学院時代この気づきから、当時研究のモチベーションが低かった自分は化学実験のTA(ティーチング・アシスタント)で、自分と同時に卒業する学群の学生となるべく多く仲良くしようと思って履修していた学生と交流を持たせていただきました。今までの自分ではしたことが無い行動で当時の自分としては接する度勇気が都度必要でしたが(本当ですよ)、この経験を大切にしたいと思います。

 そんな出会いは自分の成長を支えてくれた核だと思っています。関わってきた人々一人一人の人間味を味わいながら交流した経験は宝物です!相談、協力、中にはプライベートを共にするなど、本当は辛いはずの学生生活もあっさり終わってしまいました。

 

 忘れるものかこの一分一秒を!関わってきた全ての人たちへありがとう!!!

 

(写真は修了した同級生たちと)

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