流行りのワニではないけれど…
うっうっ…ワニよ、おぉ、ワニよ…終わってしまいましたね。
タイトル通り、運命からは逃れられませんでした。それ以上の感想は表現できませんが、哲学的な作品だと深く感じました。
引っ越す前の夜に近くの銭湯に行って湯船につかってぼぅっと考えていました。
「そう言えば今何歳だっけ」「あぁ、そんな年か」なんてね。
年の話は20前後は浮かれてましたが、後は積まれていく数字という認識で思い返すと何だか嫌な気分になってしまいます。
生きてきた年齢はいくつもの枝分かれがある道の上で進み続けてきた道のようなものなのかもしれませんね。
あと、こんなことも考えてました。
自分の年齢を半分にして(割り切れなければ切り捨て)、もしその年齢の自分の目の前に今の自分が突然現れて、今どんな仕事や行動をしているかを告げてみる。そしたらどんな反応が返ってくるだろうか…(その当時の自分のバックグラウンドを考えながら。)
きっと驚くでしょうね。「お前そんな柄じゃないじゃん」「今より痩せてるの!マジで!」「運動が好きになるとか信じられん。」「夢叶えてみたんだな」なーんて、口生意気な半分の年の自分に言われる。「そうさ、色々あったんだから」と説明しようとすると、なんだか積み上げてきた自分は無駄じゃなかったと思えるかもしれない。
今度は自分の年の2倍の自分に何か言われるように道を進み続けたいって思った。
(のぼせ気味でした)
3年間とちょっとを多くはない人数ですが小中学生に堅苦しい理数科目を世界のナベアツ(分かる人は世代がドンピシャ!今は落語してます。)みたいにアホになって教えてたりもしました。後、3年間くらい大学では威厳もなくフランクに後輩の指導もしました。
苦い思い出もあれば笑った思い出もたくさんありますが、全部無駄じゃなかったし、後悔もないです。今思うとやりたいようにやれた環境だったのかもしれません。(それとも、最大限生かせた環境?)
ちょっと自分の経歴を語ると、高校は第二希望、大学も第二希望(実は)の第二第二の人生できてますが、ワニさんも100日先の未来が見えないのと同じように、自分も100日先なんてわからないのだから進み続けるしかないし進み続けてきた。そうでしょう。
高知という地を(一旦?)離れますが、約10年ありがとうございました。
大学のことを通過儀礼ではないですが、とりあえず通るものと思っていた、年が半分の自分に説教していやりたいです。
野球の球児などのスポーツ選手ではないですが、高知という土地に礼!
では、また。
おまけ:自分がよくプレイするゲームにあるエモい感じの曲です。(2分程度)
感情に対して焦点が当たってる曲です。